歴史好きな人が小田原と言って思い浮かぶのは北条早雲から始まる戦国武将の後北条一族だと思います。その北条家が拠点にしていた小田原城も有名ですが、豊臣秀吉が北条を攻めたときにつくった「一夜城」の史跡が残っているということを聞いたので行ってきました。
ちかくにある「ヨロイヅカファーム」の記事は「こちら」です。
◆小田原一夜城とは?
豊臣秀吉は小田原の他にも墨俣で一夜城を築きましたが、こちらの小田原でも一夜城と呼ばれる城を築いています。
小田原の一夜城とは、ほぼ天下を統一した豊臣秀吉がいまだ逆らい続ける関東を拠点にしていた北条一族を滅ぼすためのいわゆる「北条攻め」で築かれた城です。一夜城と言っても実際は一夜で城を作ったわけではなく、実際には4万人を使って80日かけて作られた城です。山の中に城の骨組みをつくりその周りに紙を貼って白壁に見せかけ、一夜のうちにその骨組みを囲っていた木々を切り倒して城に見せかけたことから一夜城と呼ばれています。
この山はもともと「笠懸山」と呼ばれていましたが、石垣を使って城を作ったことから「石垣山」と呼ばれるようになり、この城を「石垣山一夜城」と呼ぶようになりました。
◆一夜城までの道のり
場所は箱根を抜けたところの近くにあります。
裾野から行く場合は、三島から伊豆縦貫道に乗って箱根を越えた箱根新道の出口近くの山を登りますが、登り口もそんなに広い道ではないので、ナビを使って行ったほうが確実だと思います。
海沿いからいきなり標高が上がるので、結構急な坂を登ることになります。
東海道本線の早川駅に登り口が近く、距離がそんなに長くないからか歩いて登っている人もちらほら見かけました。
城の入り口の前にはきれいに整備された駐車場もあり、駐車場の奥には有名なパティシエである鎧塚俊彦さんの「一夜城ヨロイヅカファーム」もあります。
◆石垣が残っている
駐車場に車を停めて一夜城の向かいました。城への入り口は駐車場の道を挟んで反対側にあります。
入り口には案内板があり、当時の武将たちの配置図もありましたが、海から山から大勢の兵士が集まって来ていて完全に包囲されているという感じがわかります。
公園の案内図もありました。
入り口には昔のままの石でできた階段が残っていましたが、かなりの急勾配です。
さらにその先に昔の石畳の道らしきものもありましたが、崩壊した石垣などが散乱してちょっと通れない感じです。
そぐ横にはきれいに整備された別の道があるのでそちらを通って先に進めます。
石垣は残っていますが、石垣の間から植物が生えてきていたりして崩壊しかかっている箇所もたくさんあります。
崩れそうな場所もあるので注意して進みます。
先に進むと二の丸跡がありきれいな芝生の広場になっていました。意外と広いです。
その先はちょっと荒れた道になっていますが、さらに進むと本丸跡に出ます。
海側には展望台もありました。
展望台からは小田原の街と小田原城が見えます。
ここからは小田原城が丸見えです。15万とも21万とも言われる大群で小田原城を包囲し、近くの山に城内を見物できるような城を築いて、さらにここに淀君ら側室や千利休を呼んで茶会や宴を開いていたと言われているので、完全に勝ち戦と考えて余裕だったんでしょう。
小田原城にも行って一夜城の方角を見たことがありますが、籠城している最中に急に一番近い山の上に城を築かれては戦意喪失はやむないと思いました。
そんなことを考えながら散歩ができる一夜城でした。天気が良ければ景色は素晴らしいので、ピクニックにも最適だと思います。
帰りに駐車場の奥にあるヨロイヅカファームに寄ってみました。